わたしを連れて

人で溢れる朝の京浜東北線の中で、わたしはひとりの女性のことを思い出していた。

イギリス留学中に取っていた、土曜の特別授業。初めての、ライブペインティング。ヌードモデルの方を前に、A1の巨大なスケッチブックに絵を描いた。(今思えば、ドローイングの授業も取っていたので 老若男女十数人の様々な裸を見た経験があるって、なかなかおもしろいわ。)

私の絵は 繊細な絵を描きたくてもいつもイラストっぽい雰囲気になってしまい、大抵描きながら理想からかけ離れた現実に落ち込んでいた。

いっしょに習う生徒のひとり、いつも部屋の奥で描いている 中年の大柄な女性 金髪で眼鏡をかけた、優しい瞳をした女性の絵が、私の理想だった。
とても繊細で、優しくて、上品で、こんな風に描けたらとびきり自慢したい!と思ってしまうような素敵な絵を、毎回、毎回仕上げていて。
授業終了前にそれぞれの作品を閲覧するとき、私はいつも彼女の作品に感動していた。


彼女は一言も喋らなかった。土曜の特別授業は大人の方々ばかりで 皆静かにこの時間を楽しんでいたけれど、彼女が他の人と話しているのを聞いたことはなかった。


1番最後の授業の日、先生に感謝を伝えて 大好きだった教室を出ると 偶然彼女もそこに立っていた。爽やかな風の通る、気持ち良く晴れた3月の午後。

彼女の名前は、カトリーナだったかしら?名前を呼んで、振り返った彼女に 私は彼女の描く絵が大好きだったと伝えた。

カトリーナはにっこり微笑んで、「Thank you」と小さな声で私に伝えて、手を振って離れていった。

彼女の声は、男性だった。



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私は、日本でも絵を習ったことが一度だけある。小学校2年生のとき、5人くらいしかいない小さな絵画教室へ 1年間だけ通った。

子供の頃の私は、先生や親に迷惑を散々かけたある意味問題児だったが、その絵の教室はわりと好きだった。

でも覚えているのは、その教室で一言も話せなかったのだ。

他の子供たちや先生に絵を褒められたりしても、なぜか何も話せなかった。話せない分、ものすごく一生懸命絵を描いた。家に帰ると、お母さんに描いた絵を見せながら こんな風に褒めてもらったのだときゃっきゃと話した。結局、引っ越しでやめるまでの1年間、一度も教室で話さなかった。

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話す というのは、今も得意じゃない。だから私は、違う表現を好んで生きてきたんだと思う。描くのも、書くのも、創るのも、演奏も。歌うのも、撮るのも、そして、着るのも。

表現の方法は山ほどあるけれど、大人になってしまった今 ふとわからなくなってるの。磨きをかけないといけないのに。京浜東北線に揺られてたどり着く場所に答えはないし。

デザイナーというより、アーティストでいたいという気持ちを 昨年はわりと封印できて 平気になっていたんだけど、今また少し苦しいなぁ。働き始めてもうすぐ3年、月日は、あっという間に過ぎるのだなぁと実感している。


何に磨きをかけるのか?これからの私の人生を、キラキラさせてくれる魔法の修行を、頑張らなくちゃ。

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