2017-09-15

let it be

子どもの頃から通っていた図書館に、久しぶりに行った。併設のギャラリーで水彩展がやっていて、ふらっと入ってみた。水彩を習うおじいさん、おばあさん達の描く野菜や山の風景。添えてあるひとことがおかしいの。「絵で見るよりずーっと、美味しかったです。」とか。小学生のコメントのようで、愛おしかった。

私は天気が良かったのでカメラを持っていた。「写真を撮る人なんですか?」と1人のおじいさんに声をかけられた。いえ、今日なんとなく持って来ただけで……と言葉を濁して、見せていただいたお礼を言って出てしまった。もっとうまく話せれば良かったのに。おじいさんと絵の写真を撮ってあげたら良かった。とか、速足で歩きながら考えてしまう。これは私の癖だ。こうしたら良かった、と、もっと素敵なバージョンの展開を想像して後悔する。でも今日はただ、突然向けられたあのおじいさんの優しい笑顔に驚いて、今ちょっとおセンチな私は なんだか泣き出しそうになってしまって、慌てて出てきてしまったのだ。


いつも自転車で走り抜けていた道をひたすらに歩いて帰った。ここを通るとき、いつも何考えてたっけ私……と考えて、ひとつ思い出したことが可笑しくて笑ってしまった。高校生の時も大学生の時も、同じ想いで走っていた。


あの頃の私より責任が増えた。でもそれは愛する人と事と物が増えたってことだと思っている。あの頃、ひたすら自分ひとりの愛するものに導かれて思うがままに毎日動いていた頃。今はやらなきゃいけない事が沢山ある。でも、それがちょっと辛くても、この人たちのために頑張りたいって思いがすごくあって、そう思うと辛くないんだ。でも、そうやって飲み込んでいたって思いもある。

地元に帰ると全部夢なのかと思う。いつも思う。でもわかった、休むって大事だ。ちゃんと休むこと。逃げるじゃなくて、心を休ませること。


オノ・ヨーコが言ってた。世界から受けた負の振動を、全て愛のバイブレーションにして返したんだって。それがすごく胸にしっくり来たんだ。


沢山感じてるいろんな愛を、胸に抱えるのではなくて、解放して生きよう。

2017-06-21

けれど傷つく心を持ち続けたい

「あゆみが生まれて退院した日。宇治川沿いの満開の桜並木をずーっと、胸に抱きしめて歩いたんだよ。」母の話。

私の記憶にはなくても浮かぶ情景は、涙がこぼれそうになるほど綺麗で。

あぁ、生きている中でそんな美しい瞬間って、そうそうないのでは、、と思った瞬間、それは間違いだと思いました。

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この間、何をするでもなく ぼぉっとおやつのような食事をしながらDVDを観て早く眠ったの。なんだか懐かしかった。

高校生の頃、何もない夕方、母とスーパーに行くついでにレンタルショップに寄り、毛布にくるまって貪るように名作映画を観てたこと。

イギリスにいた時、クラスメイトの会話に入れないのが悔しくて。図書館で借りた映画に英語字幕をつけて、何度も巻き戻して台詞を口にして、自分に染み込ませていたこと。

妹と二人暮らしの頃、あの広い一軒家でアンを膝に抱えて、窓を開けてお気に入りの映画を流しながら、歌いながら絵を描いていたこと。

実家を出て都心に住んで、あちこちの映画館が近くなって、浮かれて沢山のミニシアターに通い詰めて。1人歩く夜の帰り道は街の灯が眩しく輝いていて、誰にも言えない感想を胸に抱えて走って帰って、部屋で日記をつけていたこと。

映画を観る、それだけでも溢れる想い出。どの場所のどの記憶でも私の部屋は本や服や絵の具に溢れて混沌としているのだけど、私を創ってきた大切で大事な孤独。

あの頃当たり前と思っていた全てが苦しいほどに愛おしく思う。

今の環境も宝物です。わたし、感謝の気持ちが足りていなかったなぁ。あたりまえはあたりまえじゃない、というのが19の私の口癖だったのに、ちょっと能天気になってしまっていた。

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そう、美しい瞬間なんて全てだ。あたりまえだと思っていた一瞬一瞬を思い出すと、どれもものすごい熱で私の中でキラキラ輝いているの。


大事にする。大切にする。今の環境、今周りにいる人々、今の私、今の私の気持ち。


18歳で始めたブログ。見返すのも恥ずかしいほどだけど消さずにおこう。そして、もっと書いて、描いて、残そう。

2017-06-11

23歳って、おかあさんが結婚した歳。

地元に帰ると、今の生活は全部夢を見てたのかと ふと思うことがある。

友人たちとシェアハウスに暮らしてること。東京のど真ん中、中央区で働いてること。優しい恋人がいること。映画も展示もすぐに行ける地で生活していること。

私は変わってゆく、故郷も変わってゆく。


小さな商店の多くは店じまいしてしまった。近所の家が更地になっていた。いつも私を引っ張るように歩いていたハッピーを、抱えて散歩するようになった。アンが1ヶ月ほど、家に帰っていないらしい。


「描ける」「大学の勉強が活かせる」
そんなお気楽な決め手と共に、1年前テキスタイルデザイナーになった。でもフォーマルウェアと日本産生地の不振により、うちの小さな会社も厳しい状況だ。以前のブログに綴った「描きたい。描きたい。」それだけじゃダメになってしまった。今年に入ってからは描く以外の仕事も自ら探してするようになった。入社したての頃、企画・事務・営業のお仕事全部手伝ってたけどそれとは違う。何が正しいのかもわからないけれど、とにかく何でも一生懸命やってたら それを見ていてくれる人が1人でもいて 嬉しかったの。

私は10年ぶりに雇われた新人で、生地屋の業界にも同世代がほとんどいない。唯でさえ人員増加が難しい中、新卒の新人を入れるのは会社にとっても投資のような感覚だったと思う。今は唯、その期待に応えたい。結局今私を一番突き動かす原動力は、この1年で培った人々との関係性、人情なんだと思う。

「愛がある物作りがしたい」
ずっとそう思ってる。でもその想いをファッションに活かすのは、やっぱり難しいのかなとずっと思ってた。働き始めて益々確信してた。だけど今、それができる、それをしたいと感じてる。

絵を描く時と同じ想いで、今、私は服と向き合っている。
理不尽なむなしいやるせない思いも沢山したけれど、それらも全て抱きしめて乗り越えて。

2017-02-04


1年前のわたしは

大学の図書館でひとり座り込み文章を書いていた。
夜に開催される田村セツコ先生のお誕生日パーティーまでの時間を、1ヶ月後に迫った卒業後への不安を、埋め尽くすように文字を書いていたの。

「"学校"という大きな軸はなくなり、自分で生きていかないといけない。でも、21年間生きてきた中で"絵を描く"事がいつの間にか私の軸になっていた。

"ものづくり"に対して、考えすぎることもある。でも、自分の愛する事で人を幸せにするって決めたんだ。私の大好きな方々と同じように。

描くよ。たくさん描く。もう迷わない。私はいよいよ描くことを仕事にするよ。大丈夫、どんな絵だって、今の私だから、今の私にしか描けないんだよ。だから愛を込めて、堂々といるよ。」

ーー2016.02.04

1年経って、私は確かに描くことを仕事にしている。全然思った通りにはなってないけれど、思った以上になった事もある。

仕事として描く事で悔しいむしゃくしゃな思いもたくさんした。だけど今、自分が良い物を描くことで喜んで頂ける人々の顔がたくさん浮かぶの。1年間でこんなに多くの出逢いがあった事を、心の底から感謝しています。もっともっと、たくさんの人と出逢いたい。描きたい。描いて1人でも多くの人に喜んで頂けるような、絵が描きたい。それがあまりにも嘘のないまっすぐな気持ちなので、なんだか子供みたいでおかしい。でも本当なの。そのむしゃくしゃの自分の想いよりも、描く仕事ができる喜びの方が今ずっとずっと大きい。子供みたいだけど、大人になったって事だと思う。


今年も田村セツコ先生の横に絵を飾って頂いた。自分で今の自分を創ってきて良かったって本当に思う。いつまで経っても夢のようだ、私は彼女の描く絵が本当に好きなの。小さな頃から1番に。

私も彼女のように本に描きたい。少女たちへ向けて、描きたい。今の仕事も愛してるけど、まだまだ描きたい世界がいっぱいあるよ。描き続ける。これまでみたいに、自分で道を作らなくちゃ。