Posts

14-11-2019

Image
今朝の空はとても気持ちが良い イギリスの空を思い出す イギリスの冬って雨ばかりで暗いんじゃないの、ってあなたは思うかもしれないけれど、雨上がりでまだちょっと湿ってるけど、青空の見える朝が私の中のイギリスの朝。 「最後は自分を信じられるかどうか」 昨夜ふと思い出した言葉は、私が人生で一度だけ見てもらった手相占いで伝えられた事である。 見てくれたのは占い師ではない、けれどよく人の手相を見るという、映画仲間のおじいさま。 ・人に優しくなりすぎるところがある ・自分に自信がなさすぎるところがある ・最後は自分の持つ才能を、自分で信じられるかどうか 見てもらった当時の私はまだ仕事を始めたばかりで、恋人に夢中でふわふわっと生きていた。それでもこの言葉は、少しショッキングというか、なんか胸に刻まれた。 そしてその後、仕事を通してこの言葉を痛感する事があった。 私は一応、デザイナーだ。一応と言ってしまう時点で彼の言う通りだな。 仕事はお客様ありきだから、もちろん描いたり作るものも相手優先とか、企業相手なら尚更いろいろある。 今年転職して、上司のデザイナーが変わった。彼女にきつく言われたのは、想いをぶつけろ、仕事をこなすな、と。 働き始めていつの間にか、自分が本当に好きな、自由に絵を描くとか文を書くとかと仕事のデザインを完全に切り離して考えてたから、耳が痛かった。 働き始めて 4 年目。 友人達はすっかり生活も安定していて、やっぱり羨ましいなと思ったり、焦ったりもする。 でもまだ 20 代。もう少しがむしゃらに頑張りたい、と思っている。 その気持ちを肯定してくれている彼に、家族に、心から感謝している。 そして、 みんなに喜んでほしい、嬉しくなってほしいという想いが、大きなモチベーションだなぁ。

12-11-2019

Image
昨日はいきなりパーソナルな想いを綴ってしまったけれど  だれか友達にここを伝えている訳でもないし、自分の好きな風に書き残してみよう。今は朝、通勤電車でこの文章を打っている。 思えば中学生の頃から、私にとってブログはとてもパーソナルなものだった。 載せる写真はお洋服がメインで、それで友達ができて遊んだりもしてた。海外の子が日本に来る時はコンタクトとって高円寺の案内までしていた。(今思うとすごいなぁ。) 当時から SNS と現実の境目は、あまり感じていないのかもしれない。 ずっと、夢や憧れを綴る事が多かった。 こんな大人になりたい、こんな仕事がしたい、ここへ行ってみたい、いつかこんな恋がしたい、 夢見る未来へのラブレターのような感覚だった。 言葉にしたら叶うような気がして。 いま私は大人になって、不器用ながらに働いていて、恋をしていて、しばらく日本を離れたこともある。 言葉にするだけじゃ夢は叶わないことも知っている。 あの頃夢見てたような大人とは結構違うかな。少しは工夫してるけど、大人になったらしゅっとするはずだったこの童顔も幼い声も変わらないし。むしろ、あの頃と全然変わっていない事の方が多いかもしれない。 でも、歳を重ねるごとになんだか色々あって、全部自分次第で、大人って、めんどうだけどおもしろいなぁなんて思い始めたのよ。 動いたら動いた分だけ何かが起こる。前じゃなくて後ろかもしれないし横かもしれないけど、学生の頃よりもそれが感じられる。 学生最後の頃の日記に書いてあったこと。 何か大きい盾の影に隠れて、時代と想いの風を感じないでいたら どうなってしまうのだろう。私は怖くてもしっかり感じて、そして表現して生きていきたい。 ブログも ツイッター も何年も離れていたけれど、携帯のメモには毎日言葉を残していた。 誰かに何かをおすすめしたり、かっこいいブログは私はとても書けないけれど 今、いろんな気持ちにフタをしなくても良いのではないかな?と、なんとなく思った いつかぽろっとここにたどり着いたあなたの心を ふっとゆるめられる、ふわっと笑顔になれる、ぽっと心をあたためられるものを作る人になること これだけはずっと変わらな

11-11-2019

Image
彼とは もう丸 3 年も毎日いっしょにいるのに まだ時々 夢みたい、と思う。 男の子も 恋する事も とにかく得意でなかった私が こうして彼と一緒に暮らしている事が ふとした時に とても不思議だ。 もうお互いに慣れてしまって くだらないことで怒ったり怒られたり ふざけたり だめだめな姿もいっぱい見られたし、知ってる。 それでも、彼と出逢う前  ただただ恋に恋してた頃の この絵を描いてた頃の ずっとひとりだった私の気持ちは 未だにものすごく鮮明で、 そして出逢った頃とまるで変わらないくらい 私は彼に恋している。 お互いにイライラしてる時なんかは それが悔しいというか切なくなったりもするけれど 彼と出逢った時から 私の目標はずっと 彼の隣が似合う素敵な女の子でいること、だ。 (そろそろ女の人、だな。)

わたしを連れて

人で溢れる朝の京浜東北線の中で、わたしはひとりの女性のことを思い出していた。 イギリス留学中に取っていた、土曜の特別授業。初めての、ライブペインティング。ヌードモデルの方を前に、 A1 の巨大なスケッチブックに絵を描いた。(今思えば、ドローイングの授業も取っていたので 老若男女十数人の様々な裸を見た経験があるって、なかなかおもしろいわ。) 私の絵は 繊細な絵を描きたくてもいつもイラストっぽい雰囲気になってしまい、大抵描きながら理想からかけ離れた現実に落ち込んでいた。 いっしょに習う生徒のひとり、いつも部屋の奥で描いている 中年の大柄な女性 金髪で眼鏡をかけた、優しい瞳をした女性の絵が、私の理想だった。 とても繊細で、優しくて、上品で、こんな風に描けたらとびきり自慢したい!と思ってしまうような素敵な絵を、毎回、毎回仕上げていて。 授業終了前にそれぞれの作品を閲覧するとき、私はいつも彼女の作品に感動していた。 彼女は一言も喋らなかった。土曜の特別授業は大人の方々ばかりで 皆静かにこの時間を楽しんでいたけれど、彼女が他の人と話しているのを聞いたことはなかった。 1 番最後の授業の日、先生に感謝を伝えて 大好きだった教室を出ると 偶然彼女もそこに立っていた。爽やかな風の通る、気持ち良く晴れた 3 月の午後。 彼女の名前は、カトリーナだったかしら?名前を呼んで、振り返った彼女に 私は彼女の描く絵が大好きだったと伝えた。 カトリーナはにっこり微笑んで、「 Thank you 」と小さな声で私に伝えて、手を振って離れていった。 彼女の声は、男性だった。 ~~~ 私は、日本でも絵を習ったことが一度だけある。小学校 2 年生のとき、 5 人くらいしかいない小さな絵画教室へ 1 年間だけ通った。 子供の頃の私は、先生や親に迷惑を散々かけたある意味問題児だったが、その絵の教室はわりと好きだった。 でも覚えているのは、その教室で一言も話せなかったのだ。 他の子供たちや先生に絵を褒められたりしても、なぜか何も話せなかった。話せない分、ものすごく一生懸命絵を描いた。家に帰ると、お母さんに描いた絵を見せながら こんな風に褒めてもらったのだときゃっきゃ

let it be

子どもの頃から通っていた図書館に、久しぶりに行った。併設のギャラリーで水彩展がやっていて、ふらっと入ってみた。水彩を習うおじいさん、おばあさん達の描く野菜や山の風景。添えてあるひとことがおかしいの。「絵で見るよりずーっと、美味しかったです。」とか。小学生のコメントのようで、愛おしかった。 私は天気が良かったのでカメラを持っていた。「写真を撮る人なんですか?」と1人のおじいさんに声をかけられた。いえ、今日なんとなく持って来ただけで …… と言葉を濁して、見せていただいたお礼を言って出てしまった。もっとうまく話せれば良かったのに。おじいさんと絵の写真を撮ってあげたら良かった。とか、速足で歩きながら考えてしまう。これは私の癖だ。こうしたら良かった、と、もっと素敵なバージョンの展開を想像して後悔する。でも今日はただ、突然向けられたあのおじいさんの優しい笑顔に驚いて、今ちょっとおセンチな私は なんだか泣き出しそうになってしまって、慌てて出てきてしまったのだ。 いつも自転車で走り抜けていた道をひたすらに歩いて帰った。ここを通るとき、いつも何考えてたっけ私 …… と考えて、ひとつ思い出したことが可笑しくて笑ってしまった。高校生の時も大学生の時も、同じ想いで走っていた。 あの頃の私より責任が増えた。でもそれは愛する人と事と物が増えたってことだと思っている。あの頃、ひたすら自分ひとりの愛するものに導かれて思うがままに毎日動いていた頃。今はやらなきゃいけない事が沢山ある。でも、それがちょっと辛くても、この人たちのために頑張りたいって思いがすごくあって、そう思うと辛くないんだ。でも、そうやって飲み込んでいたって思いもある。 地元に帰ると全部夢なのかと思う。いつも思う。でもわかった、休むって大事だ。ちゃんと休むこと。逃げるじゃなくて、心を休ませること。 オノ・ヨーコが言ってた。世界から受けた負の振動を、全て愛のバイブレーションにして返したんだって。それがすごく胸にしっくり来たんだ。 沢山感じてるいろんな愛を、胸に抱えるのではなくて、解放して生きよう。

けれど傷つく心を持ち続けたい

「あゆみが生まれて退院した日。宇治川沿いの満開の桜並木をずーっと、胸に抱きしめて歩いたんだよ。」母の話。 私の記憶にはなくても浮かぶ情景は、涙がこぼれそうになるほど綺麗で。 あぁ、生きている中でそんな美しい瞬間って、そうそうないのでは、、と思った瞬間、それは間違いだと思いました。 ーーーーー この間、何をするでもなく ぼぉっとおやつのような食事をしながら DVD を観て早く眠ったの。なんだか懐かしかった。 高校生の頃、何もない夕方、母とスーパーに行くついでにレンタルショップに寄り、毛布にくるまって貪るように名作映画を観てたこと。 イギリスにいた時、クラスメイトの会話に入れないのが悔しくて。図書館で借りた映画に英語字幕をつけて、何度も巻き戻して台詞を口にして、自分に染み込ませていたこと。 妹と二人暮らしの頃、あの広い一軒家でアンを膝に抱えて、窓を開けてお気に入りの映画を流しながら、歌いながら絵を描いていたこと。 実家を出て都心に住んで、あちこちの映画館が近くなって、浮かれて沢山のミニシアターに通い詰めて。 1 人歩く夜の帰り道は街の灯が眩しく輝いていて、誰にも言えない感想を胸に抱えて走って帰って、部屋で日記をつけていたこと。 映画を観る、それだけでも溢れる想い出。どの場所のどの記憶でも私の部屋は本や服や絵の具に溢れて混沌としているのだけど、私を創ってきた大切で大事な孤独。 あの頃当たり前と思っていた全てが苦しいほどに愛おしく思う。 今の環境も宝物です。わたし、感謝の気持ちが足りていなかったなぁ。あたりまえはあたりまえじゃない、というのが 19 の私の口癖だったのに、ちょっと能天気になってしまっていた。 ーーーーー そう、美しい瞬間なんて全てだ。あたりまえだと思っていた一瞬一瞬を思い出すと、どれもものすごい熱で私の中でキラキラ輝いているの。 大事にする。大切にする。今の環境、今周りにいる人々、今の私、今の私の気持ち。 18歳で始めたブログ。見返すのも恥ずかしいほどだけど消さずにおこう。そして、もっと書いて、描いて、残そう。

23歳って、おかあさんが結婚した歳。

地元に帰ると、今の生活は全部夢を見てたのかと ふと思うことがある。 友人たちとシェアハウスに暮らしてること。東京のど真ん中、中央区で働いてること。優しい恋人がいること。映画も展示もすぐに行ける地で生活していること。 私は変わってゆく、故郷も変わってゆく。 小さな商店の多くは店じまいしてしまった。近所の家が更地になっていた。いつも私を引っ張るように歩いていたハッピーを、抱えて散歩するようになった。アンが 1 ヶ月ほど、家に帰っていないらしい。 「描ける」「大学の勉強が活かせる」 そんなお気楽な決め手と共に、 1 年前テキスタイルデザイナーになった。でもフォーマルウェアと日本産生地の不振により、うちの小さな会社も厳しい状況だ。以前のブログに綴った「描きたい。描きたい。」それだけじゃダメになってしまった。今年に入ってからは描く以外の仕事も自ら探してするようになった。入社したての頃、企画・事務・営業のお仕事全部手伝ってたけどそれとは違う。何が正しいのかもわからないけれど、とにかく何でも一生懸命やってたら それを見ていてくれる人が 1 人でもいて 嬉しかったの。 私は 10 年ぶりに雇われた新人で、生地屋の業界にも同世代がほとんどいない。唯でさえ人員増加が難しい中、新卒の新人を入れるのは会社にとっても投資のような感覚だったと思う。今は唯、その期待に応えたい。結局今私を一番突き動かす原動力は、この 1 年で培った人々との関係性、人情なんだと思う。 「愛がある物作りがしたい」 ずっとそう思ってる。でもその想いをファッションに活かすのは、やっぱり難しいのかなと ずっと 思ってた。働き始めて益々確信してた。だけど今、それができる、それをしたいと感じてる。 絵を描く時と同じ想いで、今、私は服と向き合っている。 理不尽なむなしいやるせない思いも沢山したけれど、それらも全て抱きしめて乗り越えて。